創業物語 | 沢与建設株式会社

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沢与建設株式会社
電話 0193-63-1157
岩手県宮古市山口一丁目2番31号
〈営業時間〉8:00〜17:00 〈定休日〉日曜日

創業物語

継続は力なり

一本の道を作る

昭和7年10月、初代・佐藤与平が、生まれ故郷である有芸村より
木材を搬出するための林道づくりを請け負ったことから、
私たち、沢与建設株式会社は始まりました。

佐藤与平は当時25歳。
「沢与」は、本家の沢口の「沢」と、名前から「与」を取ったもので、
こうして「沢与組」が誕生しました。

その頃は川を利用した木材の運搬から、馬車による運送に時代が変わりつつあり、
道路工事が本格化していきました。
山を切り開き、道を作り、
川に丸太を渡して、橋を作る。

与平が作った新しい道路は、未来への希望とともに伸びていきました。

しかし、村の財政は厳しく、
あと少しで路線が開通するというところで、資金が厳しくなり
奉仕で貫通させた道路もあったそうです。

やがて、第二次世界大戦が始まり、若者は戦争に出征していきました。

与平は、友人の佐々木利夫が村長になった時に、助役として村に奉職しました。
大戦は厳しくなり、村に直接の被害はなかったものの、
畑を耕し、乳牛を飼い、馬で山から丸太を運び出す、自給自足の生活が続きました。

大雨による災害も多く、何度も何度も木橋が流され、
その度に、復旧工事をしたため、木橋の架設は得意中の得意になったと聞いています。
人力でドドッコを使って、大きな丸太を動かす。
今のようにクレーンなどもなく、一日がかりで丸太を川に渡し、
それは大変な作業だったと思われます。

日本一の学校づくり

昭和26年、学校建築ブームが起こり、
沢世組も有芸村小中学校の建築を請け負いました。
請負金額は280万円。
ところが物価が高騰して、完成までに600万円かかりました。
なんとか資金を工面して、大赤字を出したものの

どんなに損しても立派なものを作る

初代・佐藤与平はそんな人でした。

今では、新しい校舎になりましたが、
木造の校舎は40年以上も使用され、
たくさんの子どもたちが思い出と共に巣立っていきました。

それは、おそらく日本一の学校だと私たちは自負しております。

有芸村から宮古へ

学校建築工事の負債を取り返すためにも
新天地を求めて、宮古へと会社を移しました。
宅地造成や公共工事などを手がけるようになりましたが、
決して楽な道ではありませんでした。

昭和35年、佐藤昇(二代目)が、東京より帰り家業を手伝い始めました。
公共工事を重点に置き、技術を磨き、立派な仕事をして、
優秀な工事を施行するために努力を重ねていきました。
今までの実績と、努力のかいもあり、道路改良工事や治山工事など
D級の格付けの工事を続けて受注するようになりました。

昭和38年、私たちの技術が試された思い出深い工事があります。
田野畑村の清水野橋は、当時初めてのカーブ橋でした。
それまで、橋は直線で架けるのが常識で、
コンクリートも生コンがない時代に、
新しい工法を取り入れ、施工された橋が出来上がった時は、感動的な瞬間でした。

安全で安心に暮らすための治山工事

ご存知の通り、宮古市は三方を山に囲まれ、
私たちの暮らしは山と共にあります。
山並みに季節を感じ、天候を案じて、暮らしてまいりました。

昭和39年には、小本の長内川渓流崩壊防止工事事業を請け負い、
初めてのダム工事に取り組みました。
高橋(宗)監督さんや、佐々木政美班長(当時)、馬場土建さんに、
親切な指導とねぎらいの言葉をいただき、
大変感激したことは、今でも忘れられない思い出です。

これで、少しでも災害を避けて安心して暮らせることができる。
治山ダムが完成した時の感動が、それからの治山工事に力を入れる素となりました。

昭和41年の普代村太田名部の集中豪雨災害のときも、緊急治山工事を受注し
日陰となる現場を、冬にかけて施工していきました。

その後もみなさんが、安心で安全に暮らせるように、治山工事を継続的に施工し、
その結果、県知事賞をいただけたことが、私たちの励みにもなっております。

株式会社設立と業務拡張

創業から50年が過ぎた、昭和57年2月。
50年の節目を機に沢与建設株式会社を設立いたしました。

昭和60年より、間伐林道開設を手がけ、
一方、土木部門では、急傾斜工事、下水道工事などを継続して施工しております。

創業から受け継がれてきた、きちんとした仕事をして、
安全で安心な暮らしのお手伝いをしたいという気持ちは
変わらずに引き継がれております。
冬場の除雪作業や、台風災害では、みなさんの安全を願い、
中学生の職場体験や、ふれあい事業などの奉仕活動で、
地元のみなさんと、交流を深めていきたいと思っております。

夢の灯りをともして

平成5年に始まった夢灯りイベントには、
夢灯りみやこ漁火協議会の会長として佐藤昇が参加。
スタッフも毎年、お手伝いをしています。
夢灯りには、親子がふれあい、
子どもたちが想像力を豊かに成長して欲しいという思いや、
宮古市民と感動を共有して、町おこしをしたいという思いが込められています。

毎年、その思いは広がっていき、
たくさんの灯りが、感動と安らぎを人々に与えてくれました。

平成23年、東日本大震災では、未曾有の大津波が
一瞬にして、多くの市民の命と財産を奪っていきました。

復興に向けて、立ち上がらなければならない。
負けてたまるか。
夢灯り発足から20年目のこの年に、
復興と激励の灯りをともしました。

その灯りは、追悼の灯りでもあり、
残された者の心を慰めてくれる灯りでもあり、
うつむかずに前を向く灯りでもありました。

希望に満ちた未来へ

平成30年には、一般住宅の建築も本格的に始まりました。

平成から令和へ時代が変わり、
これからどんな未来が広がっていくのでしょうか。

当社で、若い人たちが技術者として育ち、
希望と夢に満ちた将来に向かって、共に歩んでいけるよう
私たちはこれからも、研鑽を積む所存です。

「暮らしのことで困ったら、なんでも沢与さんに頼めば安心だね」
そう言っていただけることを励みに、
私たちが、お役に立てることはなんでも行動していきたいと思っております。

これからも、よろしくお願いします。

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